ここでは私が研究所を立ち上げるまでの経緯をまとめます。
支援員を辞めて
私は2008年から約11年、東京でICT支援員を勤めました。
そしてこの仕事を通じて、学校教育におけるICT活用が難しいこと、そして何よりも「この時に来てほしい」という学校からの強い要望に応えられないもどかしさを感じていました。
ICT支援員は基本的に訪問回数は月数回かつ年間にも決められているため増減はできません。私が所属していた会社もこのスタイルでした。
そのため「この週に毎日来てほしい」というお声をいただいても、契約上できないためいつも断る日々でした。
こんな辛い気持ちは繰り返したくない。先生方のもっと身近で支援したい。これを打破できるのは教員になることではないか。そう感じるようになり大学に入って免許を取得、支援員を退職したのです。
しかし諸々の事情が重なったこと、実習を通して自身が教員に向いていないことを感じ、教員になることは諦めました。
友人からの一言
退職後、私は相方とともに旅をしました。そこで友人に私の支援員時代の活動や卒論のことを話しました。
するとこうした知識や経験はぜひ活かしたほうがいい、フリーランスになるべきと意外な意見をもらいました。
実は漠然とそうした気持ちは持っていましたが、具体的に伝えられたのは初めてだったので「その手があるか・・」と思うようになりました。
かつての担当校からのヘルプ
こうして研究所を立ち上げ、名刺なども揃えるようにしましたが何分仕事をしていた場所とは違うところに引っ越したため人脈はゼロ。
いろいろなワークショップや展示会、勉強会に参加して話をしましたが、実績がある訳でもないので仕事にはつながりませんでした。
秋、仕事をしていた東京に戻る機会があり、かつて担当した学校に顔を出しました。
担当を外れて数年も経つのに、先生方は私を歓迎してくださいました。というのも、学習発表会が今週末なのにPowerPointでうまく表現ができず困っていたところだったからです。対応できることを伝えると「ぜひ週末まで対応してほしい。アドバイスもほしい」と依頼をいただくこととなりました。
(詳しくはブログ「学習発表会 ~PowerPointと影絵のコラボレーション~」を参照ください)
その後、別の担当校からはプログラミング教育の研究授業に携わってほしいと依頼があり、現在に至っています。
支援員時代以上の達成感
支援員時代にも仕事をやり遂げたことによる達成感はありました。しかし先生方から「助かったよ」「ありがとう!」と言われても私の心は満足していなかった部分がありました。
なぜそう感じてしまうのか?それを考えたところ、背景にある「支援員=企業の人」というイメージと、先生から頼まれて支援したものではなく、私自身が「やってみませんか?」と提案して実施したものばかりだったことに気付きました。
しかし今回の支援は私が主導ではなく学校からの強い要望を受けてのことでしたので、先生方からの感謝の度合いが違いました。
さらに大きく変わったのは、支援員時代あまりお声すらかけなかった先生が「元気だった?」と気さくに声をかけてくださるようになったこと。
これはおそらく企業の人でなく、教員免許を持つ仲間という目線で私を見るようになったからでしょうか(先生は結構そういうところがあります)。
いつでも、どんなときにも、即対応
その後、私は担当していた学校様を訪問しては管理職の先生に活動の主旨を伝えています。
すると小中学校ともに「とても興味がある」「検討したい」と前向きな回答をいただいています。
これに合わせ、複数の自治体の教育委員会様にも活動の主旨をお話しています。
漠然とした思いを具現化に導いたのは、営業活動を通して聞こえた多くの「助けてほしい」の声でした。
では私ができることは何だろうか?
卒論からも求められたICTを活用したい先生からの切実な声をそのままにしていいのか?
そんな気持ちが私を突き動かしました。
定期的に訪問し対応することも大事です。
私はそのスタイルで動いていくと決めました。
これがICT教育推進研究所のモットーであり、スタイルです。